私は昭和49年7月(1974)、安藤達雄さんが会長の時に入会させて頂きました。
当時の会員数は48名、クラブの平均年齢は53.5歳でしたから、今より十歳以上若かったことになります。
今野さんと兵藤さんが既に在籍されており、36歳の私と共に3人は最も若い年代でしたが、今では平均年齢を引き上げる側になってしまいました。
私は昭和40年に脱サラで東京からやって来ましたが、何とか食えるようになったので、地域の異業種の人達とお付き合いが出来ないかと、ある方に相談したところ、ロータリーの存在を知りました。人から勧められたのではなく、自ら志願して入会したのです。
今考えると、血気盛んで余り品行が良くなかった私の入会を認めて頂き感謝しています。当初は赤や青のたすきを掛け、鐘を叩いてロータリーソングを歌うことに違和感を覚えましたが、自然と慣れていつの間にか39年が経ちました。
28年前、17代の会長を務めさせて頂きました。日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落、翌年には三原山が大噴火した年でした。外国ではメキシコとコロンビアが大震災に見舞われ、クラブとして二つの支援事業を行いました。 一つは当時会員であった西友店長の上田さんの計らいで、同店の広場を借りてバザーを開きました。場所がよく来店客が多いのですぐに完売しました。
もう一つは、二宮さんのご尽力でオープンしたばかりのそごう8階のフロアーを無償で借りることが出来、年末の三日間、チャリティー絵画展を開きました。絵は全て地区ロータリアンが無償で拠出して呉れた作品で、約160万円の売上金を、メキシコとコロンビア両大使館に寄付することが出来ました。
オープニングには両国の大使をはじめ、当時の上野 豊横浜商工会議所会頭と上野良一ガバナーのご臨席を得、一般紙も取り上げてNHKTVからも放映され、ロータリーの友にも掲載されました。このようなイベントが出来たのも、人脈豊富な二宮さんや絵かきで会員であった故石川茂男さんのご尽力と、多くのロータリアンのご協力があったからです。ロータリアンが結集するとすごいパワーになるものだと、改めてロータリーの魅力を知りました。後日、コロンビア大使館にディーナーの招待を受けたのも、ロータリーだったからであり、いい思い出になっています。
昔、亡くなった小平さんという会員が居られ、「君は感情を直ぐ顔に出すね!」と注意を受けたことがありました。家で鏡の前で試してみたところ、とんでもない顔をしていることに気付き、即刻改めてこのような柔和な顔(?)になりました。気が付かずにいたら、人間関係で随分損をしたことと思います。こんな事を注意して呉れるのもロータリアン同士だからで、「人間道場」と言われる所以だと思っています。
経営者は自由がある半面、孤独で精神的に不安定になることがあります。ロータリーに入会すると仲間が出来、組織上の役割を与えられ、規制や指示を受けます。それが心地よく、ある意味ほっとする部分なのかも知れません。